読書尚友

A reading room in Nagoya

155 玉川スミ「ドドイツ万華鏡」

くまざさ出版社 1999年

爪弾きに声を落とした小唄の渋さ キャバレーじゃ聞けない江戸の味

何度逢うてもきらいはきらい 一度逢うても好きは好き

惚れて通った昔が恋し 今じゃあきれて戻る道

ちょこで受けてるお座敷よりも 二人で呑みたい茶わん酒

初めて見染めて初めて惚れて 初めてはじめるはずかしさ

三歳のときに27円で売られる。「おとうちゃんがお酒飲めるなら行ってもいい」

三歳で初舞台。 ♪ タコに骨ないナマコに目がない わたし子どもで色気ない

 

スミ姐さんに唱和

泣けてくるけど 笑ってしまう こんな小唄に出会いたい

 

三歳の娘を膝にのせて声をあげて泣くおとうちゃん

エンペドクレスのカタルシス 罪からの魂の浄め 

154 鶴見俊輔 編 「日本の名随筆 別巻97 昭和㈠ 」1999年 作品社

鶴見俊輔 反戦平和運動の旗手

151ページで最近のエッセイ集に苦言というより 不適応を表明。

それでは どんなエッセイ集が良いのか、と自問自答。

熟知して表現 虚心坦懐 さっぱりしているのがいい。

熟知せず、山っ気がちらつくのはいただけない。151の類は 満州国の新しい農村への期待 とか 中国共産党の文化革命賛美 原子力発電誘致で福島は夢の街 と同質の認識の軽さ危うさを感じる。

鶴見編集の「昭和㈠」には熟知がある。

所収 松本健一「少女の白旗」 沖縄戦で白旗を掲げて投降する少女の話 演劇になったり感動する人多しではあるが ・・・ そんな発想ができる少女はいたのか?7歳で。 米軍の動画映像には うしろに日本兵の姿 三角の白旗 三角? 「りゅう子の白い旗」という書物には 「壕にたてこもった日本軍隊長が雑嚢から白い布を取り出し少女に持たせ 本当に米軍は白旗で撃ってこないか試した」 とある。松本の文では その少女は比嘉富子さんとある。松本の沖縄での大学講義後「わたしです」と言って現れたのであるから間違いない。同じ壕にいた両手足のないおじいさんが投降を教え、おばあさんがじいさんの下着のふんどしの布をさいて作ってくれた白旗だという。

沖縄戦の日本軍は条件の良い壕(ガマ)を占拠し民間人を入れなかったと聞く。米軍の収容キャンプを襲い 投降した日本兵を虐殺。わたしのわずかな知見と「りゅう子の白い旗」は符合しない。松本随筆に熟知あり。 

ワタシからの伝聞ではアマイので 戦後 ソ連に抑留されシベリアの強制収容所で働かされた人の言葉を全文掲げてみよう。

石原吉郎 ある〈共生〉の経験から

石原吉郎 随筆集は「日常への強制」 詩人「サンチョ・パンサの帰郷」でH氏賞受賞。

153  遠藤周作「現代の快人物 ー狐狸庵閑話ー」

角川文庫 昭和47年 ラシーヌ再読しつつ自己韜晦の日々

このころの遠藤周作は読者をゲラゲラわらわせようとする戯作執筆。それほどオモシロイとはいえない。一方、内面においては 日本人とキリスト教 切支丹信徒の息の長い探究を継続  社会的弱者で 殉教したフランス人、日本人に ゆっくり眺め思いをめぐらせている。

前編の”現代の快人物”はキャバレー界の風雲児・福富太郎のインタビューなど。

遠藤の作品では「イエスの生涯」が秀逸。日本人的に納得がゆく。ユダは対ローマ独立運動民族主義者で立ち上がらないイエスに失望 という解釈など 踏み込んでいる。

キリスト教のとらえ方は日本人にとっての大きな課題であるが、遠藤周作が一番親しみやすい。曽野綾子のように山の手ハイセンスなキリスト教には照れるし、矢内原忠雄につき従うほどエリートじゃないし。

152  「考證 永井荷風」秋庭太郎 岩波書店 昭和41年

谷崎潤一郎の奥さん 松子さんは 世間でとりざたされた人であり敬遠の対象であったが その文章に接してみれば いい人、優れた人である。

今は皇室の人がとりざたされ傷ついているが以前は文士その周辺がマスコミの餌食 という構図なのであろうか。

谷崎の交友も見てみよう という気になりました。

終戦の1945年、永井は戦災で岡山に疎開。 谷崎も岡山近傍 勝山に疎開

永井荷風伯備線谷崎潤一郎のいる勝山に向かった

永井荷風の岡山の疎開

二人が知り合ったのは明治44年 1911年

終戦の日前後に二人は会っている。

冒頭 「同月10日広島・・」とは8月6日の原爆投下をさしている。

 

谷崎の「疎開日記」の記述に、焼け出された永井荷風の全財産は背広とカバン一つ とあるが秋庭の考証によれば その中には札束が10センチ以上。被災の直前に銀行解約、被災後家屋の保険支払交渉を人に頼んでからの逃避行である。

この本 秋庭太郎「考証 永井荷風」は良くできた本である。荷風の女性関係も14歳のお坊ちゃま時代の食堂の女の子、近所の髪結いの娘から 細かく記述。荷風の日記には母親をひきとりたかったのに弟が勝手に・・と激怒であるが 秋庭氏は弟にも直接取材「兄の嫁は芸者だった人で母の口にあうものも用意できないのだから・・」ということで客観公正な記述と考えられる。

谷崎夫人松子さんの終戦の8月15日に荷風のために用意したお弁当 白米のおにぎりに昆布、牛肉がそえられて・・ 飢餓の時代にすごい!

戦時戦後 満員電車で行って会う 格別さ

 この読書録の 116  長谷川町子 サザエさん旅あるき 参照。

151  日本文藝家協会編「ベスト・エッセイ」2019

光村図書出版 2019年

久しぶりにこのエッセイ集を手にした。

以前 20年以上前 は 大家、学究、名人などの ていねいな 上質の木綿にさわるような感触の さりげなくも 深く豊かな世界に接することができたような記憶 である。

今回は 都心の100円均一の広く明るい店に迷いこんだような印象を受けた。

どれもピカピカ 短くて軽い。

読後 腰巻の編集委員の言葉 最初の目にした言葉を読み返し、うなずいた。

たしかに「今」であり 「時代の断面」がちりばめられている。

AI社会 そうなんだ 老人の今 そうそう。

ただ 十分な認識とは思えない。わたしは、1941年 太平洋戦争が12月に始まる年の1月 甲子園球場 ジャンプ台を作り 雪を運んできて ジャンプを見物して興がっていた日本人を想起した。後世から見れば 反戦のデモでもした方が良い大事な時期に。

2022年版への提言

時代の断面 のエッセイ  執筆陣は

ウクライナ アフガニスタンの人々 トルコの軍需工場の活況を伝える人 殺されたジャーナリストの妻たち 上海の住人 など 国際化ありたし。

150  谷崎松子「奇松庵の夢」

中央公論社 昭和42年 題名:人偏に奇 
谷崎潤一郎の左手の布は緋毛氈 紅枝垂れ桜を下から見上げるためであろうか・・

谷崎潤一郎佐藤春夫の女をめぐる確執 この文の時点の「谷崎夫婦」の妻は千代
松子夫人の 見方 さばき方 なかなか。

谷崎潤一郎の絶筆「にくまれ口」婦人公論 昭和40
年 9 月号  ”光源氏は人間的に好きになれない” 源氏物語ファンはびっくり!
この和歌は源氏物語の核心部分と思われます。

松子夫人から見た 谷崎の人柄 女性の扱い

松子夫人のこの本 良いものでした。私は谷崎を誤解していた。

本当の谷崎氏は松子夫人の描写とも異なる存在。千代子夫人は「トナカイさん」と呼び、いびきがスゴい とのこと。中学生のころ読んだ「谷崎源氏」もりあがった話の末いつも オオトノゴモリ ??? いま ちょっとわかってきた かな。

149  山口つばさ「ブルーピリオド」

講談社 2017年

「青い世界」とは「美の世界」

入口は高校の美術部室のあたりに・・・

美の世界の入口  おばあちゃん先生

椅子も机も 窓枠も、服装も私のころより格段に良くなっている。鉛筆も紙も。
私のころ1960年代三河岡崎の高校では、平屋の木造校舎、木の窓枠、ゆがんで見える窓ガラス。汗と埃まみれの学生服、下駄の先輩もいた。大理石の板の上で粉に油をまぜて絵具を作るのが1年生の仕事。暗い色の絵具がたくさんできた。展覧会で名古屋の高校の作品を見て、絵具の明るい色にびっくりした。売っている高価な絵具を使っているのだ。キャンバスが小さくて気の毒。我々は木枠から組み立て、教室のカーテンを切ってキャンバスを制作。みんな30号以上。

美術部。私のころと同じ。変なヤツが堂々と行き来。同じ悩みを悩んでいる。

ワタシ「美術部 やめます」

顧問 成瀬光男先生「君は美の世界を去るのか」

ワタシ「日曜画家とか・・」

これはブルーピリオドのおばあちゃん先生と八虎の会話と同じである。