読書尚友

A reading room in Nagoya

129 正法眼蔵

岩波書店 日本古典文學大系 西尾実校注で読んだ「正法眼蔵」。

仏典は難解広漠。私にとっては西尾実の編集、注釈は実に有難い。有難さは具体的には、「正法眼蔵」は中世仏教文学の源流である、との認識からの編集であること。注釈、年譜がほどほどで親切。正法眼蔵は75巻のもの60巻のものもあるが、12巻にまとめている。入門にはほどよい。

道元禅師は表現力が確かである。永平寺まで参禅に行ったが僧侶は「ただ座ればいいのです」と教えた。寺には皇室からの使いを迎える特別な門があったり(流れにそって考えず?)それではわからない。道元は行事、寄付、加持祈祷など不要とした上で「ただ座り」仏陀に向き合いなさい。それなら納得。「掃除中、小石が竹に当たり、その瞬間悟った」悟りはいつ来るかわからない? 道元はそれまでの師匠の指導等記述、なるほど となる。「正法眼蔵」には、はっきりわかっての記述の快さあり。

若き日の著作は特に生き生きとし、簡潔、博学。仏陀とその弟子の言動、中国諸師の工夫をおさえ、簡潔な指示につなげている。稀な秀才。私は達磨から慧可への伝授すら疑う。「楞伽経を渡して世を渡れ」と言っただけ。四祖から五祖よりも、むしろ牛頭法融の方がファンタシティックというブライスさんの説でふらふら。青原ブランチ注目と言われても、やっぱり趙州が好きとかとりとめもない。若き道元はピシッと捉え隙がない。

中年(その時代では老年か)の叙述は口やかましい感もありちょっと偉そう。

仏道の指南であり、読書で終わるわけではないが、再読三読の気持ちのわく西尾編集に感謝。