前田教授はコンテンポラリー・バレエをフランス流にヌーヴェルダンスとよぶ。
それは今までの言語芸術に代わって、我々の身体を媒体とする表現芸術である。上掲の作品は 現代の職場、ビジネススーツにハイヒールの閉鎖空間の打破。解放ないし反逆、人間性の回復の誇示である。
人間性を眠らせている お稽古事 の対極の 非日常性 別世界。
コンテンポラリーならすべて人間性は解放されているわけではなかろう。
ただ ヌーヴェルダンスが非日常性を意識していることは確かである。
大学院の前田允教授の講義を選択する学生は少なく、その年は私一人であった。渋谷の喫茶店で何時間も雑談。店を出ると大きな月が出ていた。大きな道を渡って駅へ。赤信号を無視して白髪の教授疾走。私もつづいた。深夜の渋谷。車は走っていなかった。わずかな時間であったが、非日常を体験。
前田教授によれば ベジャールとピナ・バウシュの違いはテーブルの上と下であるという。二人の幼年時代。ベジャールは哲学者の父のところに来る論客のテーブル上の議論を聴きながら育った。ピナ・バウシュは仲の悪い父母で一家団欒はなく、父の経営するレストランの床に放置されていた。テーブルの下の人の気配を見続けて育つ。世阿弥は芸事は三歳から始めよ、と言っているが、ベジャールもピナも三歳からの道のりという。ベジャールの自伝には幼児体験、父のことがよく出てくる。
前掲の写真 ピナ・バウシュの作品ではないが、制服的なスーツの女性の内なる人間性・非日常的な思いを幼時のピナは体得していたのであろうか。