読書尚友

A reading room in Nagoya

106 勝海舟

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海舟による咸臨丸のスケッチ

中山行雄編「勝海舟」旺文社 1983年

海舟自身の「海舟座談」も興味津々ではあるが老境の傲慢さ、鼻息の粗い話しぶりが良くないのでこの本。多彩な証言を良く編集。

黒船が浦賀沖に現れたのは1853年 条約批准で咸臨丸がサンフランシスコ港へ行ったのが1860年。欧米列強の地球規模での侵略により、滅びた国あり、奴隷となった人々、植民地とされた地域多し。鉄製の大船で押し寄せてきたアメリカに、同じく鉄の軍艦で返礼に行きサンフランシスコ湾で礼砲を轟かせたのであるから快挙であろう。

黒船、意見書、航海術等の学問所作り、海軍を興し、自分が艦長となってアメリカに渡る。官吏になれず江上の舟で嘆いた杜甫よりも海舟の方が実践での功績は大きい。

うちの祖先は尾張藩佐幕派として戊申戦争の年に切腹佐幕派ではなかったようであるが、家老以下三名、御三家筆頭尾張藩が官軍を無事に通す血の証とされた。そのあたりの情勢を見ると、勝海舟坂本龍馬横井小楠あたりの思想判断は優秀。

勝海舟全集」は買ってみた。幕府側の資料集成のみ。その意味では貴重。海舟の思想の理解を進展させられるものではなかった。次に、横井小楠の理解を課題としたが、当時の状況、漢学の素養の在り方が障壁と思われた。

アメリカから帰国した海舟の説明に小楠 「それは堯舜の世である」 私にはわかりません。西郷隆盛横井小楠勝海舟らが薦める国家像が尊重されたなら、貧しくも誇り高い アジアを友とする 堯舜の国、日本なったのであろうか。脱亜入欧満州国建設の実際の岩倉具視、山形有朋、伊藤博文福沢諭吉らの路線を恥ずかしいな、と思う今日このごろではあります。