読書尚友

A reading room in Nagoya

103 マッカーサーの二千日

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袖井林二郎マッカーサーの二千日」中公文庫 1976年

マッカーサー自身の「マッカーサー回想記」は読んでいない。コロナ禍が終わったらさしかえたい。素顔を見せない人。しかし、的確に行動し、発言している。

「アイ・シャル・リターン」フィリピン撤退時。

メルボルンから東京までは長い道のりだった。長い長いそして困難な道程だった。しかしこれで万事終わったようだ。」厚木着陸、横浜での記者会見。

「この日の朝、私は何をいい、何をなすべきかについて何の指令も受けていなかった。私はひとりぽっちで、神と私の良心以外には私を導くなんのしるべもなくミズーリ号の甲板に立っていた。(回想録)

この厳粛な機会に、過去の出血と殺戮の中から、信仰と理解に基礎づけられた世界、人間の威厳とその抱懐する希望のために捧げられたより良き世界が、自由と寛容と正義のために生まれ出でんことは私の熱望するところでありまた全人類の願いである。・・・正義と忍耐をもって私の責務を遂行することは、私の堅き決意であることを声明する。(降伏調印式)」

老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」総司令官解任後

「私は日本ほど安定し、秩序を保ち、勤勉である国、日本ほど人類の前進のため将来建設的な役割を果たしてくれるという希望のもてる国を他に知らない」上下両院総会での演説

「科学・美術・宗教・文化などの発展の上からみて、アングロ・サクソンは四十五歳の壮年に達しているとすれば、ドイツ人もそれとほぼ同年輩である。しかし日本人はまだ生徒の時代で、まず十二歳の少年である」ラッセル・ロング議員の質問に答えて

日本人12歳説。私は好意からの発言と解釈。太平洋戦争の後半において武器といえないような貧弱な装備で果敢に戦いを挑んでくる背の低い元気で真剣な人々は彼には少年と思えたのであろうか 厳罰大量処刑を望む流れもある時代に、若いんだよ、更生させることができる というニュアンスの発言と考えたい。質疑細目、質問者とマッカーサーの距離、自伝での記述があればはっきりするのだが。

とにかく、マッカーサーという人は信仰深い人。有能な軍人。ポツダム宣言を実現していった人、と理解。当時の日本人全体の熱い対応とも調和して稀な一時期が現出。

 

的確な言動。ダグラス・マッカーサーは頭のいい人。それは指導者としてあたりまえ。しかし、日本の指導者は頭の悪い人が多すぎる。無駄な惨事をひき起こし過ぎ。朝鮮植民地化、日中戦争マッカーサー個人が稀に優秀、というのではなく、(ミズーリ艦上の感動的演説もリンカーンの演説に似たものあり)勝海舟が言うように「時代が人をつくる」。その時代の民衆の思い、汗と涙の価値集約を果たせた、と考える。

カダフィ大佐を失ったリビアの混乱、フセインの無残な死の後のイラク、それと比較して、昭和天皇マッカーサーはいい仕事をした、と言われてもよいのではなかろうか。