読書尚友

A reading room in Nagoya

80 「アダム・スミスの味」

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アダム・スミスの会 東京大学出版会 1965



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目次

大学進学。文学部に行きたかったが親の難色で経済学部へ。ずいぶんがっかりしての失意の進学であったが、それでも18歳、学問の世界は未知の領域であり、本当の勉強を独学でしようと決めた。1年生のころは一切講義に出席せず図書館と下宿の生活。図書館は閉架方式であったが、私があまりにたくさん読もうと注文するので、司書さん「自分で探していいよ」となり、誰もいない書棚の中へ。そのころ見つけた最高の一冊、「アダム・スミスの味」。下宿では毎晩徹夜でアダム・スミス「諸国民の富」を読んでいた。

目次の項目、どれも興味深い。

アダム・スミス自然法」。世に、スミスというと「神の見えざる手」、自由貿易論フリートレード、の二語で終わるのだが、中世的信仰の人ではない。自然法的秩序であって自由放任ではない。どうしてこんな無責任な誤解が横行するのだろうか。

アダム・スミスの蔵書」。スミスの「諸国民の富」の記述のほとんどは蔵書からの引用。正確には大学の蔵書からの引用。水田洋のリストはスミスが退職時に買ってそろえた本のリスト。「国富論」のよくこなれた文体はスミスそのものと思われるが、モンテーニュの「エセー」のように編集的知性。モンテーニュの編集思考からは古代ローマの知の饗宴が現れ、スミスの編集知性からは新時代が見えてくる。

「スミスにおける人間の問題」ホモ・エコノミクス。近代になり商人のような性格をおびる人間像。スミスから先、経済学は人間論は論じない経済発展議論の学。初期マルクスには疎外論があるが、今盛行の中国共産主義経済こそ人間性を疎外する疑いありで、深く広く考察の必要あり。

アダム・スミスの会、すばらしい学者たちの世界と思われたが、この手の本の後継版が見当たらない。また、本場ロンドンの大型店舗の書店にもスミス研究の書物のコーナーなどはなく、経済学関係者に聞いても、スミスなどやるのは一部好事家、という位置づけらしい。ノーベル経済学賞も文明論、人間論とかかわる受賞者皆無。

とにかく、1年かけアダム・スミス「諸国民の富」読了。期末の試験はどの科目も、その質問にスミスなら・・・と答えたことでしょう、で押しきり単位はもらえました。だいたい可、60点。たまに良、70点の先生もいた。

3年でゼミを選ぶ。アダム・スミスのゼミなどなく、古典をテキストにするのは「資本論」の有田先生だけ、ということで、「資本論」の世界へ。スミスを学び進めることはできませんでした。

イギリス人的には、良いと思ったことなら続けなさい、かな。スコットが自分の方法で南極点をめざしたように。経済学と文明論、人間論、憧れていたなら これからやりなさい。ということか・・・純粋編集知性、再評価を。