老人の今、かなり期待して読み始めた。小学校のころ家が大田区久が原で、法華経を所依とする日蓮宗の本門寺が近くにあり、祭りの晩には遠く 太鼓の響。立派な門前町は見ていない。家から行くと裏の方からお寺に行けてしまうので。幼い記憶は、力道山のお墓があった!以外のものではない。その後、宮沢賢治が臨終の直前に、今までの自分の著作、それは枕元のカバンにはいっていて、よりも書き写した法華経の方が価値がある、と言った、という話が記憶に残っている。賢治は好きな蕎麦をうまそうに食べ、それが最後の食事となった。という認識、今はコロナ禍で図書館にもいけないので確かめられない。一の関の蕎麦屋、嘉喜屋には行った。おいしい蕎麦である。素朴。生徒を連れて泊まった温泉もよかった。法華経もスバラシイにちがいない。長者火宅の話など上手な語り手で読んでいた。
読んでみて、問題をかかえる、危険な書物 と思えた。仏教者の自信の認識の根拠多数。「仏塔を建てるといい」法華経の随所に繰り返される。方便品、授受品、提婆品、寿量品、薬王品など。日本中仏塔多し。お墓参りで行く広い墓地にも塔が林立。
仏塔は無害だが、焼身自殺とか女性蔑視(上掲)が生き生き述べられると、問題と思わざるを得ない。