"friegende oesterreiche Kronen!"
「吹けば飛ぶようなオーストリアクローネ」
茂吉がウイーンにいた大正11年は1922年。ドイツの第一次大戦後のインフレーションは有名。オーストリアは大帝国の解体をともなって凄まじかったのであろうか。戦勝国日本の円は強く、留学生は本の棚買い ココからココまで 全部買う をしていたと聞いたことがある。
娘が鶴を折る、というのは日本人の客が教えたのであろう。
茂吉の随筆は 何か隠しているようで 私にはイマイチなものに思われる。当時敗残オーストリアの世相と売春婦の心情がオブラートで包んである、と推測。茂吉の和歌を尊崇する人が読んで有難がるための文であろうか。