読書尚友

A reading room in Nagoya

134 枕草子

枕草子清少納言 964~1025

中の関白一門が没落してゆく日々に、くやしいこと、悲しいことは多くあったであろうに、ありし日々を楽しげに、美しく描きあげている。

清少納言が出仕した藤原定子 977-1000 一条天皇中宮/皇后。

藤原道隆 953-995 定子の父 関白 死後長男伊周と弟道長が権力闘争。

藤原伊周(これちか) 974-1010 定子の兄 叔父道長との権力争いで罠にはまり敗北。

長徳2年 996年 

4月24日 伊周に配流宣命「宮の内の上下、声をとよみみ泣きたる」栄華物語

4月28日 定子・伊周あい携えて離れず。「京内の上下首を挙げて后宮の中に乱入す。およそ見物の濫吹極まりなし。彼の宮の内の人の悲泣連声、聴く者は涙を拭ふ小右記

定子は皇后の宮殿に兄をかくまい、手を携える。道長の送り込んだ官憲も皇后には手が出せず。野次馬が屋敷に乱入。皇后の宮殿の門が壊されたり、みじめな屋敷への転居も清少納言は同行。宮の内の悲泣連声の時も中にいたはず。

清少納言という呼称は 一門没落、男の追従者たちは一斉に道長になびく中、定子を護って高位の顔見知りの男たちとの交渉にあたっていた という呼称と考えたい。少納言というのは小事の奏宣と官印の管理が職責。

一門の没落の悲嘆、定子の苦悩と死を間近に見つつ、そののちに完結する「枕草子」。「枕草子」は失われた一条朝の華麗な文化の世界、定子のサロンへのオマージュ。「枕草子」のトーンは白の美意識。雪の白い世界 氷室の中飾り。

 

付記 次の段「源氏物語」夕顔に 光源氏の後朝 早朝の美しい光景を引用。 後朝 実談 藤原伊周(これちか) を記しておこう。

伊周は藤原為光の娘女三君の所へ通っていた。花山院は女四君に艶書を遣わすも返事が芳しからず。花山院は為光邸に向かう。女三君に男が来たとし、従者が威嚇の矢を放つ。花山院の衣に的中。問題化し上記の配流宣命へ。当時の実際のガールハントは従者を従え狩りのようであったと推測せざるをえません。