読書尚友

A reading room in Nagoya

26 羽仁五郎「都市の論理」

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自伝的戦後史 講談社 昭和53年

日々を楽しく。紅茶のいれ方、とか。平和なのだから。しかし、戦争の始まる1941年も、鈴木大拙によれば みんな「タコつぼのなかでのんびり」であったのう。日々の年表を見ても、1941年の正月「甲子園球場にスキーのジャンプ台をつくりジャンプ競技が人気」とかの記述で好戦の行進ではじまった年ではない。やはり世の中を良くする社会参加への志向も大事。

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羽仁五郎「日本の中国侵略を阻止できなかったことに対して百年頭を垂れて謝罪するほかない」。言葉は色あせず、我々に迫ってくる。羽仁の指摘する線で日本人全体が反省しできていれば、今日の我々はもっと希望をもって中国に向き合えたであろうに。

私の学生時代は学園紛争の時代で、赤いヘルメットの人たちのバイブルが羽仁五郎「都市の論理」。私は学生運動の人たちが嫌いだった。偉そうにマルクス主義を語り、大暴れ。3年になると就職にいいケインズに宗旨がえ、商社や建設業界へ。その後、語っていた政治理念を貫いた人は私の知り合いにはいない。そんな人たちの「都市の論理」には手をふれなかった。30歳を過ぎ、騒ぎも遠のき、本を買って読んでみた。それほどのこと、つまり「資本論」の改訂版ではなかった。身近な話題。しかし今見返すと、色褪せていない。他の類書がナーンダ、と色褪せた今。

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「都市の論理」目次

羽仁の死後、原子力発電所の炎上。羽仁の指摘する市民と自治体の問題。福島県自治体と原子力行政。羽仁の指摘した問題構造は変わらず災難の元凶。社会悪のありかたが不変というか増殖しており、批判する勢力は微弱化している今日、羽仁の言葉は鮮明なまま。

新左翼運動がマスコミにより妙な終息(浅間山荘事件のフレーム・アップ)をむかえたのは残念である。日大闘争が問うた経営体制の問題も最近表面化。