読書尚友

A reading room in Nagoya

94 渡辺和子著作集

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この写真が1935年。

二・二六事件は1936年。父渡辺錠太郎は「教育総監邸で殺された」とすると、この部屋で殺された可能性が高い。そうなん部屋もない家のようである。「テーブルの下に小さな娘を隠した」このテーブルであろうか。

ミュンヘンオリンピックの柔道選手であった友人が学生時代「二・二六事件の映画に有名俳優の代わりに同じ衣装でガラス戸に飛び込み突入するシーンで出た」と聞き、ヒトラー暗殺未遂事件ではヒトラー、将校の集まった部屋のテーブルが頑丈すぎて爆殺に失敗、と聞いているので、教育総監邸の部屋もテーブルも大きなものを想像していたが、小さな娘といる日本家屋の応接間というのはこの写真のようであるはず。

この本には「修道女になるときは手紙一通もちこまず、思い出の品などない」とあり、この写真は数少ない思い出の品か。

昨日著作集5冊岡山の書店より到着。目次をざっと見て、あたりさわりのない随筆の集積との印象、  あれ 第2巻 巻頭の写真(上掲) 大事なものを差し出してくださっている!「思い出の手紙」「雪の音」 率直な語り。二・二六は雪の日の事件。お父さんは陸軍屈指の射撃の名手。見かけない拳銃を取り出し、真綿の防弾着。母は女中さんたちの指図に忙しく、幼い和子さんは父のそばへ。父は一瞬困惑、目の合図でテーブルの下に隠れる。襖が細目に開かれ、機関銃が設置される。掃射、足を狙い動けなくなったところで数人の青年将校乱入、とどめをさす。一切を物陰から見てしまう。あたりは血の海。父は一発も撃つことはなかった。

終戦直後、軍人家族の扶助料は停止され苦しい生活が続く。母の着物を自転車にのせて呉服屋へ。お金に換えるのが和子さんの役割。修道院での共同であるがための寂しさ、とか 率直に記述してある。

渡辺和子さんの素顔は、道産子で  すなお。父錠太郎氏の旭川第7師団長時代に出生。軍人の家庭の子で男らしい。「父の死に目に会えて良かった」何と度胸のすわった言葉でしょうか。「その場所で咲いていれば良いのです」、とかの発言は、名古屋の大須生まれの私には繁華街の陽のあたらない裏路地で咲け、と読めますが、言っている方は北海道の空気のすがすがしい丘で咲け、東京よりその方はイイよ、なのでしょうか。

 

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文芸春秋」2022年1月号