きのふの淵 「随筆 冬の蠅」扶桑書房 1945 Nov.
荷風の文章は 好き勝手に部分を読み散らし、ただよう情緒を楽しんできた。
「そのころ、私は三十を越したばかり。芸者と連れ立って、夏の夜ふけの河岸通を歩くのが、夢ではないかと思ふほど嬉しくてならなかった時分である。(上掲文)」
一杯飲んだ帰り道、芸者さんに ばったりあって「お家はどこですか?」言ってみたい。「そこヨ。よって行きなさい」言われてみたい。これははかない夢を述べているのではなく、荷風の告白。「復活」ファースト・シーンのネフリュードフがカチューシャを女中部屋から抱えて行くのと同じ。トルストイの記述も経験の告白。若いころ軍隊時代のトルストイの女漁りはすごい。
随筆「きのふの淵」は荷風が狭斜の巷に深くなじむようになるきっかけを描いている。明治42年の夏、荷風の会話の相手のは新橋芸者の富松。
「腕くらべ」あたりが佳境か(「つゆのあとさき」「おかめ笹」と比べてどうでしょう・・「夏姿」がいい?)。新橋の芸妓社会の表裏。ヒロイン 駒代、ナイスバディの菊千代、金にものをいわせる君龍の腕くらべ。駒代は旦那を菊千代にとられ、情人は君龍に奪われ、肉体的にも物質的にも敗北してゆくのだが、そんな筋よりも、その場その場の高揚感、意地のはりあいとか、それぞれのシーンが楽しいのです。
そして 独自路線 悠々自適の荷風の歩み いいな。下記悠々宣言。