読書尚友

A reading room in Nagoya

152  「考證 永井荷風」秋庭太郎 岩波書店 昭和41年

谷崎潤一郎の奥さん 松子さんは 世間でとりざたされた人であり敬遠の対象であったが その文章に接してみれば いい人、優れた人である。

今は皇室の人がとりざたされ傷ついているが以前は文士その周辺がマスコミの餌食 という構図なのであろうか。

谷崎の交友も見てみよう という気になりました。

終戦の1945年、永井は戦災で岡山に疎開。 谷崎も岡山近傍 勝山に疎開

永井荷風伯備線谷崎潤一郎のいる勝山に向かった

永井荷風の岡山の疎開

二人が知り合ったのは明治44年 1911年

終戦の日前後に二人は会っている。

冒頭 「同月10日広島・・」とは8月6日の原爆投下をさしている。

 

谷崎の「疎開日記」の記述に、焼け出された永井荷風の全財産は背広とカバン一つ とあるが秋庭の考証によれば その中には札束が10センチ以上。被災の直前に銀行解約、被災後家屋の保険支払交渉を人に頼んでからの逃避行である。

この本 秋庭太郎「考証 永井荷風」は良くできた本である。荷風の女性関係も14歳のお坊ちゃま時代の食堂の女の子、近所の髪結いの娘から 細かく記述。荷風の日記には母親をひきとりたかったのに弟が勝手に・・と激怒であるが 秋庭氏は弟にも直接取材「兄の嫁は芸者だった人で母の口にあうものも用意できないのだから・・」ということで客観公正な記述と考えられる。

谷崎夫人松子さんの終戦の8月15日に荷風のために用意したお弁当 白米のおにぎりに昆布、牛肉がそえられて・・ 飢餓の時代にすごい!

戦時戦後 満員電車で行って会う 格別さ

 この読書録の 116  長谷川町子 サザエさん旅あるき 参照。