読書尚友

A reading room in Nagoya

138 聖書 伝道者の書

ユダヤ教 キリスト教 イスラム教の「聖書」旧約の「伝道者の書」

「コヘレトの言葉」「伝道の書」。

中学生時代に「コーラン」を読み終わった。「聖書」を読んだのは高校時代。

ず~と読んできて、旧約聖書の「伝道者の書」第7節16「義に過ぎて滅びるなかれ」この文にふれ この宗教は信じてもいい と受けとめた。心をひらくことにした。

今 イスラム教徒の中には自爆テロで死ぬ青年あり。キリスト教にも殉教の伝統あり。私は思いつめた青年に教典のここを指し示したい。

大学院でキリスト教文学を専攻 夏の学習高原合宿で同室の初老の同窓生は聖書をよく読んでみえた。早朝 サラサラ 紙の音。私はお札を数えているのかと思ったが 彼はすでに起きて聖書をひもといていた。少しして 適切なタイミングで「義に過ぎて滅びるなかれ」が私の好きな言葉である」と言ったら、彼は怪訝な顔をして「聖書のどこに書いてあるの?」というから「・・旧約」で対話は途切れた。全編をそらんじている彼の言葉。「新共同訳にはない」と断言。

帰宅後調べてみた。私の聖書にはあった。共同訳にはなかった。書名もなかった。「コヘレトの言葉」という書名に変えられ、7-16はふやかした言葉で原型をとどめていない。最近 訳が変わった。「義に過ぎるな」と「滅びるな」が分けてあり 意味がずらしてある。

このような篇を聖書に加えたユダヤの編者の見識に敬意を覚える。

 

コーラン」について。これは朗誦すべきもので 活字で追うものではない というのが感想。同じ表現が何回でもでてきて 陶酔せよ  アラビア語で歌うように。似た読み心地は ヒトラー「わが闘争」 音楽的陶酔演説。良く言えば で 本としての読み心地は良くなかった。