昨日のサルトル わかった気がしない。読書とは何か わからなくなった気がした。そこで 若き日に読書がわかった気にさせてくれた加藤周一「読書術」をひもとくことにした。しかし、著者、題名が同じでも中身がちがう気がする。・・・凄くなっている。
たとえば、サルトルの読み方、
サルトルをこじらせているのは、ナチのフランス支配とレジスタンス運動のニガミ。簡単にワカッタとは言えない相手。
実存主義がわかっていなければサルトルはワカラナイという思い。しかし、加藤周一の上記解説は明快。既存に流通する概念ではなく 自分の触覚から判断。「ノン ノン これは・・・」かっこいいね。自由なんだ。
「自分を発見するために古典を読む」わたしはそうしてきて、いつも「しかしね・・・」になってしまった。
「アメリカ式速読術」上田教授の速読にはかなわない。本屋の立ち読みの天才。
どれも納得。親切。聡明な方だ。