月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。
千住にて舟をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそそぐ。
定年後岩波文庫入手。芭蕉の文がそのまま読めるのが有難い。古典を教えてくださった国語教師たちと校注の萩原という方に感謝。併収の曾良旅日記、奥細道菅菰抄、地図、年表など ひとつひとつ拝読。
つけ加える文章などない方が良いが、一応感想。
悟った貧乏旅行ではない。余裕あり。雨の日、からだを休める日、絶景過ぎて沈黙を守る日。馬舟多用、豪勢な遊山。門人宅での句会も多い。
芭蕉当時の面影、雨の日 石、蝉、夏草・・今も残っているのであろう。行ってみたいものである。同時代、日本人の楽しみ。
数年前中国西京/長安へ行き、杜甫の詩の情景を心中ひそかに探す。 バスの車窓からは、英国原子力発電所風の外観の火力発電所、新設高層マンション街、コンクリートで無表情な大型観光施設、旧ソ連型の空港レストラン、寺院はチベット風、西域への道は車が渋滞、など杜甫を連想できるもの皆無。楊貴妃ゆかりの地もびっしり土産物店がならびそれらしい木造建物庭園温泉見当たらず。すべて木々はなぜか地上1メートルほど白いペンキが塗ってあり興ざめ。